
最近、虹口区の乍浦路は映画『醤園弄』の撮影で注目を集めている。この映画は「中華民国四大怪奇事件」の一つを題材にしたものであり、1940年代に起きた古い出来事をめぐり事件が展開している。陳可辛氏が監督を務めたこの映画は、1930年代から1940年代にかけての上海の街並みを乍浦路に再現した。

高さ10メートルの「醤園」という二文字が、汚れが付いた壁面と相まって、昔ながらの雰囲気を醸し出している。筆文字の看板、手描きのポスター、コンクリート打ちっ放しの壁など、映画『醤園弄』の舞台となった新昌路醤園弄のかつての街並みが忠実に再現されている。古き良きレトロな商店が軒を連ね、昔の面影を色濃く残している。

乍浦路は曲がりくねった南北の通りであり、南は北蘇州路から始まり、乍浦路橋でつながり、北は衡水路に至る。

古き良き佇まいを残した乍浦路は、歴史的な通りであり、数多くの文化遺産を有している。特筆すべきは、同通りでは、歴史的な建築物がたくさん立ち並んでおり、その中、「中国初」の建築物もある。

虹口大劇院:中国初の商業映画館

虹口大劇院は、中国初の商業映画館で当初は虹口活動影劇園と呼ばれた。1908年にスペイン人実業家レマス氏によって、当時の中西書院の北端、乍浦路112号に建設されたである。

こうして中国初の本格的な映画館が誕生した。映画の興行もまた、茶館や遊園施設などに依存していた状況から脱却し、独立したビジネスとなった。この出来事は、中国における映画興行事業の発端を象徴している。

上海美術専科学校:中国初の美術学校


1912年11月23日、上海の乍浦路に、上海図画美術院という学校が誕生し、大いに注目を浴びた。後に上海美術専門学校、上海美術専科学校へと改名され、略して「美専」と称された。 当時僅か17歳の劉海粟氏は烏始光氏などの友人たちとともに、西洋の美術教育システムを導入し、中国現代美術教育の先駆者となった。

解放劇場:上海市文芸工作者第一回代表大会はここで開催

解放劇場はもともと1927年に日本人によって作られた「東和館劇場」である。1949年の上海解放後、解放軍に接収された最初の劇場として「解放劇場」と改名された。さらに、接収された日には新型オペラ『白毛女』がここで上演され、大反響を呼んだ。当時、解放劇場は上海でかなり大きな影響力を持ち、「南に蘭心あり、北に解放あり」と称された。

特に特筆すべきは、1950年7月24日から29日にかけて、上海市文芸工作者第一回代表大会がここで成功裏に開催された事である。上海文芸業連合会の初代主席である夏衍氏が準備委員会主任として、自ら執筆した『より緊密に団結し、より勇敢に創造する』という基調演説を行い、陳毅市長も会場に臨き、情勢報告を行った。上海の文芸事業の新たな船出はここから始まったのである。(翻译罗静, 审稿傅梦菊)
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