
巨鹿路は黄浦区と静安区を東西に横切る全長2.29キロの道路で、「上海の文学館」と称され、文学的な雰囲気に満ち溢れている。そして、海派の歴史的風貌、文化の厚みと商業の活力で有名で、ネットで大ヒットした街「巨富長(巨鹿路、富民路と長楽路)」の重要な一部分でもある。
拡幅しない道
巨鹿路の建設は1907年に始まり、その後、道路が拡張され、住宅も建てられ、農地も次々と当局に買収されて商業用地となった。当初の巨鹿路は、当時のフランス上海総領事の巨藾达(Louis Ratard)氏にちなんで巨藾达路と呼ばれ、1943年に鉅鹿路に、1966年に巨鹿路に改名された。
陝西南路を境に巨鹿路を東西に分けると、東側は庶民的な雰囲気で、市井の活気が感じられる。一方、西側はソテツの木が高くそびえ、濃い木陰に覆われ、両側の住宅は高級マンションや一軒家の庭園付き別荘が立ち並び、優雅で静かな雰囲気が漂っている。
上海の文学館
巨鹿路には上海作家協会、作家書店などの組織が集い、「上海の文学館」と呼ばれている。
巨鹿路675号に位置する上海文芸家協会は、もともと有名な実業家、劉吉生氏(1889-1962)の邸宅で、上海でも有数のガーデンハウスであった。庭園には美しい大理石の女神像が立っており、この建物が妻の陳定真氏への40歳の誕生日プレゼントだったことから、「愛神花園」とも呼ばれている。
愛神花園は、鄔達克設計の最高傑作で当時の上海で最も美しい庭園住宅のひとつとして知られていた。また彼はそれ以前、ノルマンディー・アパート(武康大厦)や息焉堂も設計しており、既にデザイナーとして上海外灘で名声を築いていた。
新中国成立後、「愛神花園」は上海文芸家協会の事務所となり、上海の文学活動における中枢的役割を果たし、文学に魅せられた多くの人々にとって聖域、エデンの園のような存在となった。夏衍氏、巴金氏、豊子愷氏など、輝かしい時代を築き上げた巨匠たちがここに足跡を残した。
上海の名人路地の代表
巨鹿路にある四明邨は、上海の名人路地の代表で、徐志摩氏、陸小曼氏、章太炎氏、タゴール氏などの有名人が上海を訪れた際に住んでいた場所であり、文化名人村としてよく知られている。
四明邨は、1912年と1928年に四明銀行の投資によって建設され、凱泰建築事務所の黄元吉氏がデザインを担当した。旧式の石庫門とは異なり、新式石庫門の代表的な路地として延安中路と巨鹿路を結ぶ四明邨は、縦方向に連なり、内部はシンプルでコンパクトにまとめられ、路地両側の建物は魚の骨のように整然と配置されている。
写真映えのホットスポット
JULU758(旧名:上海儀電廠)は、元々は上海沪光器械という名前で1960年に建設された工場であったが、今はトレンディなセレクトショップ、レストラン、アフタヌーンティーやブランチが味わえる店やファッショナブルなバーが集まる場所となっている。鉄筋コンクリートの壁面は工業的な雰囲気が漂い、昔の雰囲気を醸し出している。(翻译:罗静;审稿:傅梦菊)
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